宮崎駿 現在は何してる?息子との確執がヤバイが次男は才能ある版画家!
宮崎駿 現在は何してるの?
スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーが
長編作品から引退した宮崎駿監督について
復帰に意欲を見せていると語り話題です。
宮崎駿監督の現在の状況と二人の息子と
確執について見ていきましょう。
以前、鈴木敏夫プロデューサーは、
宮崎駿監督の引退後について語っていたのですが、
鈴木敏夫プロデューサーによると、
宮崎駿監督は
模型雑誌のためにチャンバラみたいな
マンガを描いていたそうです。
あと最近、鈴木敏夫プロデューサーが
『CG作品に挑んでみたら?』と提案した所、
少し乗る気になったようで
宮崎駿監督は現在は
CG 短編に取り組んでいるようですね。
手描き(アニメーション)でもよかった
そうですが、作り方を変えたほうが
新鮮でやる気になるのでは !?
さすが プロデューサー
こういう 引き出すのがうまいですね。
宮崎監督のCG短編作品見たい人は
たくさんいるのでしょうね。
どんな感じでもいいので、
また作品を作ってほしいですね。
世界中の人が
宮崎作品の新作を待っています。。
鈴木敏夫プロデューサーは、現在はあまりジブリのオフィスに行かないようしてるそうです。
たまに行くと、宮崎駿監督につかまり
1時間しゃべりまくられるようです。
話を聞いてあげるのも仕事なんでしょうけど
ジブリは、2014年春頃から作画スタッフを中心に契約更新をせず、契約打ち切りとしていました。
契約更新をしなかった理由については、
宮崎駿が引退した事で、年間20億かかる人件費の捻出が難しくなったため
これも作品を手描きではなく、
CGに移行してる流れなのでしょうか?
まあコスト的にも
CGで作成した方が安いでしょうしね。
宮崎駿の息子との確執について
宮崎吾朗さんは、宮崎駿監督の息子さんで
父と同じ映画監督をされており
どうやら二人にはいろんな確執があるようですね。
偉大な監督を父にもつ吾朗氏は、
いつも比べられて大変ですね。
宮崎吾郎氏は小さい時から
父とは疎遠だったと発言しています。
宮崎駿さんは帰宅時間も遅く、吾朗さんと遊ぶことはほとんどなく、驚くことに、吾朗さんはアニメと雑誌のインタビューで父親を知ることが多かったようです。
成長してからも
どこに行っても“宮崎駿の息子”という肩書が
ついて回ることが嫌で仕方なかったようです。
そんな親子が確執を深めたのが、
2006年に公開された『ゲド戦記』でした。
ジブリの鈴木プロデューサーの勧めで、
まったくの未経験ながら宮崎吾朗氏が初めてアニメ映画の監督を務めることになったのが
この『ゲド戦記』でした。
宮崎さんはもともと、『ゲド戦記』の原作が好きで、自らの手で映画化を望んでいたようですが、
映画の2時間という枠に、自分が描きたいことは収まらない”と断念していたのですが、
なぜか?
ジブリが『ゲド戦記』を映画化することに
せっかく映画化できることになったのに、
その監督は自分ではなく、
それも、映画素人の自分の息子の吾朗氏が
監督をすることになり、キレタようです。
「吾朗が中心になってやるなんていうことはありえない」
「あいつに監督ができるわけがないだろう」
公開された「ゲド戦記」は興行的には
成功して利益が出たようですが、
作品としての評判はイマイチだったそうです。
このとき、監督をやるやらないを巡り、
親子は机を叩きながら
怒鳴り合いの大喧嘩を繰り広げたそうです。
そのあとも
映画製作が終わった後も二人は、二年ほど口きかなかったそうです。
どんだけ頑固やねん。
廊下を歩いていても、
「あ、いる」と思うと
お互いスーッと進路を変えていたようです。
その後、一応関係は修復されたようですが、
宮崎駿の息子、次男は版画家だった。
宮﨑 敬介 (みやざき けいすけ) さんは日本の版画家で、1970年に映画監督の宮﨑駿と大田朱美の次男として生まれました。
宮﨑 敬介さんは映画監督ではなく、独自の道を選びました。
版画家の柄澤齊の作品に感動し、武蔵野美術大学造形学部在学中に独学で木口木版画を始めた。
卒業後は版画家として活動し、
木口木版画の制作を続けており、
宮崎監督の息子であることを伏せて創作活動をしておられます。
「耳をすませば」で雫が「牢獄でヴァイオリンを作る職人」の本の挿絵を見つけるシーン。
その挿絵を宮崎監督の二男が版画で担当したらしいんだけど、理想的な線画過ぎて見る度に卒倒しそうになる。
牢獄でヴァイオリンを造るシチュ自体に萌える。 pic.twitter.com/FZyYQxpwGE— こころ@8/22~9月末・角と花展2 (@ccr8mst8) 2016年5月29日
作品だけで勝負したいんでしょうね。
ジブリ作品の「耳をすませば」に登場する
「牢獄でヴァイオリンを作る職人」は、
版画家の宮崎敬介氏が「耳をすませば」の為に
制作した木口木版画だそうです。